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私の現代芸術(岡本太郎 著)
岡本太郎は、1950年代から精力的に著作を出版し、自らの脳裏に渦巻いている人間観や芸術観を「言葉」という絵筆で表現し続けた。
猿から人間へと進化する中で生まれた「芸術」の起源に想いをはせ、その荒々しい原初性を現代へ蘇らせるべくアジテートを重ねていく。
パリ留学時代のジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンストらとの交流の回想、花田清輝や鶴見俊輔らとの交換書簡形式のエッセイなど、すみずみまで「生」のパッションがほとばしっている。
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われわれの生命の奥底に忘れさられ、失われた初源的な感動。この芸術の基本的なものは現代芸術がとうにのりこえたつもりでいて、ついにその第一歩から、逆にこえられてしまっている。
芸術の歴史は、いわば時間が逆に働いている。進めば進むほど既にこえてきた出発点が前方にせり上がってくる。(略)
現代芸術は真空の中で苦悶する。しなければならない。素肌のまま。
(「芸術の『現代』を超える」より)
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◎Contents
◎Contents
人間は木にのぼりそこなった
猿と人間の間
圧しつぶされた叫び
孤独者と単独者
コンペイ党宣言
私の信念
私の職業
私のコンプレックス
私の古典
わが友 ー ジョルジュ・バタイユ
お答えいたします
花田清輝へ
鶴見俊輔へ
伝統とは何か
密教芸術と現代
勝手にしやがれ
残酷について
芸術の「現代」を超える ほか
絶版または版元品切れ
ソフトカバー 函
□publisher:新潮社
□date of issue:1963年 初版
□size:19.5x13.5cm
□page:321
□condition:経年なり・普通 函スレ汚れ傷み
背ヤケ強 褪色 破れ 裏見返しに蔵書印
本体は比較的良好な状態です
» 随筆・エッセイ
https://narda.thebase.in/categories/1326663
猿から人間へと進化する中で生まれた「芸術」の起源に想いをはせ、その荒々しい原初性を現代へ蘇らせるべくアジテートを重ねていく。
パリ留学時代のジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトン、マックス・エルンストらとの交流の回想、花田清輝や鶴見俊輔らとの交換書簡形式のエッセイなど、すみずみまで「生」のパッションがほとばしっている。
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われわれの生命の奥底に忘れさられ、失われた初源的な感動。この芸術の基本的なものは現代芸術がとうにのりこえたつもりでいて、ついにその第一歩から、逆にこえられてしまっている。
芸術の歴史は、いわば時間が逆に働いている。進めば進むほど既にこえてきた出発点が前方にせり上がってくる。(略)
現代芸術は真空の中で苦悶する。しなければならない。素肌のまま。
(「芸術の『現代』を超える」より)
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◎Contents
◎Contents
人間は木にのぼりそこなった
猿と人間の間
圧しつぶされた叫び
孤独者と単独者
コンペイ党宣言
私の信念
私の職業
私のコンプレックス
私の古典
わが友 ー ジョルジュ・バタイユ
お答えいたします
花田清輝へ
鶴見俊輔へ
伝統とは何か
密教芸術と現代
勝手にしやがれ
残酷について
芸術の「現代」を超える ほか
絶版または版元品切れ
ソフトカバー 函
□publisher:新潮社
□date of issue:1963年 初版
□size:19.5x13.5cm
□page:321
□condition:経年なり・普通 函スレ汚れ傷み
背ヤケ強 褪色 破れ 裏見返しに蔵書印
本体は比較的良好な状態です
» 随筆・エッセイ
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